藤沢周平氏は、現代日本を代表する鶴岡市生まれの時代小説作家として知られております。 戦後、鶴岡市湯田川中学校の教員を経て、昭和48年に「暗殺の年輪」で直木賞を受賞。その後、庄内の人々と歴史を題材にした作品を手掛け、代表作である「義民が駆ける」や「回天の門」などを生み出しました。
遅咲きの作家と言われながらも精力的に名作を次々と発表し、驕る事もなく教え子と会えばいつも変わらぬ先生として接していたそうです。健康を害したため、毎年の同窓会出席は困難を極めるという判断から、いつもより多額の進物を持参したことがきっかけで、文学碑の話が持ち上がりました。エッセイの中で何も残さず、ふっと消える様に人生を終わりたいと書いた先生の心には逆らう様ですが、 これまでの辛苦の末に生み出された藤沢文学に注ぎ込まれた人間であるが故の“人間と自然に対する限りない慈しみの心”を永く伝えていく何かを残すべきだという想いから文学碑の建立が動き始めました。文学碑の建立に当たり、藤沢周平先生の反対はあったものの、先生と教え子達の記念碑とする事を申し出てお許しをいただいたと言われております。先生と教え子達の心を結び付けた碑は今ではその枠を越えて、作家藤沢周平の原点を語り継ぐ場として、なくてはならないものとなっております。
藤沢周平の他にも、斎藤茂吉や横光利一、種田山頭火、竹久夢二といった歴史に名を残す文人墨客も湯田川温泉に逗留したとの云われもございます。