旬の地魚を湯田川温泉で
新米の刈入れがすすみ、食卓に新米をかみしめる喜びはひろがっている。
湯田川温泉というと“鶴岡の奥座敷”と言われることも多く、また孟宗筍で有名な事から、随分と山間にあるイメージであるが、15分も車を走らせるとそこはもう日本海である。「アバ」と呼ばれた魚売りの行商が浜から湯田川温泉にも売りに来ていたのはほんの少し昔の話。
山形県の海岸線「庄内浜」は日本一の短さだが、年間で130種もの海産物が水揚げされる豊かな漁場だ。そのおかげで湯田川でも、一年を通して新鮮な魚介類がお膳を彩る宿も多く、ここはひとつ旬魚を目当てに湯田川に泊まってみてはいかがだろうか。
湯田川温泉は、その旅館の女将自らの手料理や郷土料理でもてなす宿と料理長が熟練の技で仕立てる料理でもてなす宿とがある。
表通りから少し入ったところに建つ九兵衛旅館は後者の旅館で、在職22年、有名な寿司店で修行を積み、とりわけ魚に精通した料理長が板場を切り盛りしている。
どの時期に何が1番美味しいのか、作っている人に聞けば間違いない!とばかりにお話を伺った。
「まず鶴岡の魚は物が良いんです。漁師さんの仕事がとにかく丁寧。神経締めや活締めといった処理が施されているおかげで、魚によって2日目に美味しくなるもの、4日目に美味しくなるものなど、ねかせる事で旨味を乗せて提供することができるんです。」
【春のマス】
「春の庄内といえば、マスですね。海マスに川マス。このマスも3月から4月の上旬は刺身で食べるのが抜群に旨い。逆に4月中旬から5月中旬は脂が最高潮に乗ってくるので焼き物にします。
普通、サーモンと違ってマスの刺身なんて食べたことないでしょう。でも一度、一気に-60度で冷凍すると鮮度も味もそのままで、刺身で食べることができるんです。
これがね、本当にサーモンなんてもんじゃなく美味しいんですよ。」
と、目を輝かせる料理長を見たら、その味を知らずにいるのは何だか人生損をした気分になってしまう。
「5月はね、数あるイカの中でも最も美味しい赤イカのシーズンです。鯛も上がってきます。それに5月は孟宗筍のハイシーズンですからね。6月は、何と言っても口細カレイでしょう。」
そう、鶴岡において口細カレイはカレイの王様。1人前サイズの小ぶりなカレイなのだが、身はふっくら、淡白でありながら上品なうま味があり、この季節の何にも勝るご馳走なのだ。
【夏の岩ガキ】
「初夏になると、ここ近年はハタの美味いのが上がるようになってきましたね。昔はハタなんて獲れなかったけど、年々海の環境も変わってきて。他にもアラやスズキ、キジハタなんかも旬。
7月8月は、西バイや大バイ、サザエにアワビと、貝類が豊富で美味しい時期。中でも、やっぱり岩ガキを目当てに来るお客様が多いですね。岩ガキも最近はその年ごとにどの港のものが良いか変わるので、うちでは出始めの時に全部の港のものを食べ比べて、その年最良の港のものをお出しするようにしているんです。
その上で、焼き牡蠣には牡蠣特有のミルキーさが強い方が良いから〇〇産、生や寿司でお出しするならさっぱり目の〇〇産と産地を変えています。ここはそうやって料理に合わせて産地まで変えられる地の利がありますね。」
岩ガキというと吹浦港が有名であるが、それは2000m級の“鳥海山”が海沿いにあることにより、海にもたらされる山の恵みが豊富、という事の象徴に他ならない。
吹浦港、酒田港、由良港、あつみ港、鼠ケ関港など岩ガキは庄内浜の各港で水揚げされるが、その味はもちろん、形さえもゴツゴツした厚いものから平たいものまで様々だ。
それらの牡蠣を料理に合わせて使い分け、味わえるとはなんという贅沢。
ところで、7月8月の庄内浜は底曳き網漁が禁漁となり、その分魚の水揚量は減る。
その点の影響を聞いてみると、「その分、はえ縄漁や1本釣り、定置網漁などの魚が主となるので、魚体の状態は良くなるんです。」 と。
なるほど、そういうことか!と目から鱗。
【秋のハタハタ、庄内オバコサワラ】
「9月に入るとハタハタが出てきます。自分も庄内人なもので秋が深まったころの、あのプチプチと子を持ったハタハタが美味いな~と思うのですが、9月のハタハタは身が美味いんです。刺身にしても良し、そしてこの時期の白子が、フグやタラの白子に匹敵するほどに美味い。
10月は、熟成させるとますます旨味の増す庄内オバコサワラがあります。
庄内オバコサワラは漁師さんが1本ずつ神経締めをしています。神経締めや活締めと言われる方法は、魚体に死に対するストレスを感じさせない為、身質にストレスが掛からないので味も身質も身持ちも良いのが特徴です。何日も熟成すれば良いというわけではなく、魚体を見て触って、何日目にお出しするのが1番美味しいかを見極めます。」
鶴岡には12月9日を「大黒様の御歳夜」として祝い、ハタハタ田楽を食べる風習が今でも続いている。11月から12月のハタハタは子でお腹をパンパンにし、それがトロっとプチプチ、独特の食感で、鶴岡の人の大好物なのだ。ハタハタ抜きに、庄内の秋は始まらない。
【冬のズワイガニから名物寒ダラ】
「庄内浜はカニの解禁が早く、10月には解禁になります。1番身が締まって、甘みが乗ってくるのが11月中旬から12月。この時期のズワイガニは是非ともカニ刺しで召し上がっていただきたい。
私共の旅館では、11月~1月中旬まで、1キロアップのズワイガニを一冬で1トン近く仕入して、お客様にお出ししています。
カニ味噌も何でも良いわけでなく、寿司に向いてるもの、雑炊に入れるもの、ソースにするものなど、様々です。それをしっかりと視覚、味覚、触角を使って適材適所に合わせて料理していきます。」
その話を聞いているだけで、口の中にはカニ刺しのジューシーで肉厚な甘みが広がり、嗅覚には焼きガニの甲羅とカニ味噌が織りなす香ばしい香り、そして、カニと言ったら〆に食べるあの雑炊の美味しさと言ったら、もうたまらなく食べたい…に尽きる。
「1月に入ると、寒ダラですね。寒の時期ですから、昔から寒明けの節分までが美味しいと言われています。この時期の日本海は時化で船が出られる回数も限られていますが、鮮度の良いタラが手に入ったら、刺身で食べると美味しいですよ。
それに庄内は酒処でもありますから、新酒とタラを季節のものとして組み合わせて、タラの白子酒なんて最高ですね。(※白子を焼いて裏ごししたものを日本酒に混ぜたもの)
2月から3月の中頃はアンコウをお出ししています。アンコウも12月頃から美味しくなってきますが、はじめはやっぱり身が美味しいので唐揚げなどにして、この時期は何と言ってもあん肝です。」
寒の時期のマダラを寒ダラと呼び、庄内きってのソウルフード寒ダラ汁は、この時期だけの特別なご馳走。
タラの他に具材を入れる入れない、酒粕を入れる入れない、など地域によってもこだわりが深く、庄内人はこのことに関しては1歩も譲らない。ちなみに九兵衛さんでは、先代の女将の味を受け継ぎ、大根入りの寒ダラ汁をお出ししているんだそう。
「昔はカブを入れたという話も聞いています。」と、湯田川は確かにカブも名物だ。
それにしても、冬の味覚は温泉風情によく似合う。カニにタラの白子にあん肝と。その上、庄内には18もの酒蔵がある。温泉に浸かり、じんわりと温まったところでコタツにすっぽりと、酒のあてには事欠かない。
野菜には春夏秋冬呼び名があるが、魚も自然界の旬の中にある。その旬どまんなかは1カ月半ほどだという。さて、何を食べに行こうかな。