隼人旅館
湯田川温泉で400年以上続く「隼人旅館」は、鶴岡の歴史と文化を色濃く感じられる宿だ。江戸時代よりずっと前からこの地で人々を迎えてきた。一体いつからあるのか、詳細は不明だが、湯田川温泉は開湯1300年。平安時代からこの土地にあったとしても不思議ではないのだ。
そんな歴史ある「隼人旅館」で、主人の庸平さんにお話しを聞くことが出来た。
この旅館は古くから、湯治宿として人々に愛されてきたという。かつての湯治では、1週間をひと回りとして、ふた回りする方も少なくなかったそうだ。人々が忙しくなってしまった今では、そんな湯治文化も、随分と贅沢なように感じられる。その一方で、気が済むまで湯に浸かり、心と身体の健康を取り戻す湯治というのは、現代人にこそ必要だという気もする。
(かつての「隼人旅館」。昭和40年代に改装後、現在の姿になった。)
そこで現代風に湯治をアレンジするとしたら、主流となるのは3日湯治だろう。もう少し休みたい人には、3日、4日、1週間でも、好きなだけ泊まって、ここから仕事に通うのも良い。「ただいま」と帰ってくるのに違和感のない、まるで自分の家のような不思議と落ち着く雰囲気がこの宿にはある。
湯田川のお湯は透明で、優しいのにパワーがある。源泉のすぐ近くにある「隼人旅館」の湯は、加水、加温、循環なし。正真正銘、本物の源泉掛け流しを楽しむことが出来る。湯船は小さく、湯量は多い。このお風呂に一度でも入れば、「隼人旅館」の価値の高さが分かるだろう。全国の温泉好きにもファンを多く持つ、通好みの宿だ。
庸平さんは山伏でもあり、出羽三山詣の拠点としても最適だ。電車や飛行機、車さえない時代から出羽三山詣の旅人が、何キロも歩いてたその足で「隼人旅館」に辿り着き、疲れを癒した。山伏の役割は、自然の霊力を身に着け、自然と人、そして人と人をつなぐこと。この宿を営み、ホラ貝の音でお客を見送るのは、庸平さんにしか出来ない山伏の仕事だ。一人旅も歓迎のこの宿を「生まれ変わりの旅」の拠点として利用したい。
この宿を語る上で、外せないのが「新徴組」。「江戸のお巡りさん」と言われ、幕末に活躍した浪士組「新徴組」が、戊辰戦争が始まり庄内藩の江戸引き上げと共に庄内に移り、湯田川温泉を拠点とした際に、本部として使用されたのが「隼人旅館」だ。「新徴組」に関しては、他では見れない資料の宝庫。当時の残留品として、弾薬庫や、清河八郎が使っていた小刀も見ることが出来る。
清河八郎といえば、彼の両親もまた、「隼人旅館」に泊まったという記録が残っているそうだ。清河八郎とその母親が、お伊勢参りに出かける際、1日目に泊まったのが湯田川温泉だった。古くから、伊勢神宮に詣でることを「西の伊勢参り」といい、これとセットで出羽三山に詣でることを「東の奥参り」と称し、双方を詣でることは人生において重要な儀礼のひとつとされていたという。清河八郎も母と共に、湯田川から西のお伊勢様を目指したのだ。
人はなぜこれほど幕末の歴史に惹かれるのだろうか。歴史というには少し近い、手を伸ばせば届くような歴史と今の狭間、「隼人旅館」はまるでその狭間にある空間のようだ。
お部屋は全8室で、最大4組のお客しか受けないというので、今の世の中でも安心して利用出来る。お食事は女将の久里子さんを筆頭に、家族で手作りする日本料理。食材はその時々の美味しいものを、海のものから山のものまで何でも手に入る湯田川で、新鮮な食材を使った身体に優しいお料理を提供している。
歴史と温泉に浸かる浪漫の宿、「隼人旅館」。是非、一度は訪れて頂きたい宿だ。
【湯田川温泉 隼人旅館 公式HP】http://www.hayato-ryokan.jp
- ・投稿者の名前:
- すずき まき
- ・プロフィール:
- 写真家。2020年、生まれ育った横浜市から鶴岡市にiターン移住。 温泉と猫をこよなく愛している。
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